火垂るの墓は死んだ妹への罪滅ぼし?原作者・野坂昭如が語る真実

      2018/06/10

スタジオジブリの高畑勲監督が5日に亡くなられたことを受け、追悼番組として映画「火垂るの墓」が放送されましたね。

 

放送が始まるやいなや「見ていて辛すぎる」「涙が止まらない」とネットが騒然となったこの映画。

公開から20年経った今でも見る人の心に刺さる作品ですね。

 

そもそも「火垂るの墓」はどのようにして生まれたのでしょうか?

原作は映画より衝撃と言われる、野坂昭如が語る真実についてお届けします!

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原作者・野坂昭如のプロフィール

名前:野坂昭如(のさかあきゆき)

生年月日:1930年10月10日ー2015月12月9日(85歳没)

出身:神奈川県鎌倉市

最終学歴:早稲田大学第一文学部仏文科抹籍

職業:作家、作詞家、歌手、政治家

 

父親は戦後に新潟県副知事を務めた野坂相如。

母親は出産後2ヶ月で亡くなり、養子に出されます。

 

その後、別々に妹2人が養子に入り、3人兄妹に。

上の妹は病気で死去。1945年の神戸大空襲で養父を亡くし、

下の妹は疎開先で栄養失調で亡くなります。

 

「火垂るの墓」は作者・野坂昭如自身の経験をもとに作られた実話でした!

 

実の父は政治家で海軍大佐ではなかったようです^^;

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「火垂るの墓」誕生秘話

戦争を舞台に幼い兄と妹が親の死に向き合い、なんとか生き抜こうとする姿に

「辛すぎて見ていられない」「この映画は何を伝えたいのか」と毎回賛否両論となるこの映画。

 

なぜ、作者の野坂昭如さんは「火垂るの墓」を書こうとしたのでしょうか?

 

「戦争の悲惨さを伝えるため」とか

「過酷な状況でもたくましく生きる兄と妹の姿を描きたい」といった感じかな〜と思いきや

 

なんと、「編集者から原稿の締め切りを催促され、喫茶店で適当に書き上げた」というのが

このストーリーが生まれたきっかけだと言うのです!

 

「元々書くつもりはなかったけど、他にネタもないし仕方なく書いた」

編集者の催促により、追い詰められた末に生まれた名作だったんですね。

そう考えると「当時の編集者、グッジョブ!」ですよね。

 

 

ちなみに娘が学校で「火垂るの墓の作者はどういう気持ちでこの作品を書いたのか」と宿題で出され、

父親で原作者である野坂氏に聞いたところ

「締め切りに追われヒィヒィ言いながら書いた」と答えたので

その通り先生に伝えたらバツを付けられてしまったという話もしています。

 

ある意味正解だけど、作者の娘さんの回答に先生も困ったでしょうね…

 

死んだ妹への罪滅ぼしだった?

「火垂るの墓」は実話を基にしていますが、全てが事実のとおりではなかったと野坂氏は話しています。

 

まず、妹の年齢。

 

ストーリーに出てくる節子の設定は4歳でしたが

実際は1歳4ヶ月で、まだ話すことはできませんでした。

 

作品中では妹を大事にする優しいお兄ちゃんですが

「ぼくはあんなにやさしくはなかった」と言い、

自分を可哀想な戦災孤児に仕立て、妹思いの兄のように書いたことを後悔していました。

 

おかゆを食べさせるときも、米のあるところは自分が食べ、妹にはうわずみの重湯の部分だけやる

空腹に耐えかねて妹の缶ミルクも自分が食べた

お腹が空いて泣く妹を黙らせるために頭を叩くこともあり、虐待に近かった

と野坂さんは話しています。

 

実際には生き延びた自分を作品中で死なせるのは

「栄養失調で死んでいった妹へのせめてものつぐない」だったのかもしれませんね。

 

妹が兄の腕の中で死んでいったこと、自らの手で火葬したこと

骨をドロップ缶に入れていたのは事実だそうです。

 

戦時下だったとはいえ「自分のせいで妹を死なせてしまった」という経験は少年期の野坂氏にとって衝撃だったに違いありません。

 

 さいごに

「火垂るの墓」誕生秘話についてお届けしました。

戦争の悲惨さ、その時代を生きた人々を生々しく描いたこの作品。

実話を基にした話だからこそ胸に迫るものがありますね。

悲しくて、一度見ると「もう見たくない」と思いつつも、また見てしまう。

この先も後世に受け継いでいきたい名作ですね。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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