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中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

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中曽根 元総理 日航機墜落事故 真実 墓場まで持っていく 発言の真意
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2019年(令和元年)11月29日に、元総理大臣・中曽根康弘氏の訃報が報じられました。

 

中曽根康弘氏といえば、1982年11月27日から87年11月6日まで日本の総理大臣を3期務め、在任期間にはあの「日航機墜落事故」も経験されています。

 

日航機墜落事故とは、乗員乗客計520名の死者を出した史上最悪の航空機事故ですね。

 

この事故に関して当時の中曽根首相が「墓場まで持って行く」と発言したとされていますが、本当なのでしょうか?

 

今回は日航機墜落事故の真相と、また中曽根首相が「墓場まで持って行く」と発言した真意について調査していきたいと思います!

 

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中曽根康弘元総理大臣のプロフィール

 

中曽根 康弘(なかそね やすひろ)元総理大臣は、日本の政治家です。

 

群馬県高崎市出身で、生年月日は1918年(大正7年)5月27日、没年月日は2019年(令和元年)11月29日で享年101歳。

 

東京帝国大学(現在の東大)法学部政治学科卒業後、内務省に入省。

 

第二次世界大戦中は海軍主計士官(少佐)を務め、終戦後は内務省に戻ります。

 

退官後、旧群馬3区(高崎市、群馬郡、多野郡、北甘楽郡、碓氷郡、吾妻郡)から衆議院議員に当選し、その後1947年 〜2003年の約60年間で連続20回当選をしています。

 

中曽根康弘氏の閣僚経験を時系列にまとめると以下の通りになりました。

 

中曽根康弘氏の閣僚経験
  • 1959年6月18日ー1960年7月19日 第7代科学技術庁長官
  • 1967年11月25日ー1968年11月30日 第38代運輸大臣
  • 1970年1月14日ー1971年7月5日 第25代防衛庁長官
  • 1972年7月7日ー1972年12月22日 第25代科学技術庁長官
  • 1972年7月7日ー1974年12月9日 第34−35代通商産業大臣
  • 1980年7月17日ー1982年11月27日 第45代行政管理庁長官
  • 1982年11月27日ー1987年11月6日 第71−73代内閣総理大臣

 

内閣総理大臣としての在任期間中には、国鉄、電電公社、専売公社、日本航空の民営化を達成し、また当時のアメリカ大統領だったロナルド・レーガン氏と「ロン・ヤス」関係と呼ばれる信頼関係を構築して日米安全保障体制の強化にも努めました。

 

称号は従六位、大勲位菊花大綬章、群馬県名誉県民などがあります。

 

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中曽根康弘元首相が101歳で死去

 

2019年11月29日、中曽根康弘元首相が東京都内の病院で亡くなりました。

 

享年は101歳で、歴代総理大臣の中では東久邇宮稔彦王(102歳48日)に次いで2番目に長寿の首相経験者となりました。

 

中曽根氏の総理大臣としての在任期間は1806日と5年におよび、安倍、佐藤、吉田、小泉の4氏に次ぐ戦後5番目の長期政権を築きました。

 

総理大臣退任後も衆議院議員として政治家を続けていましたが、平成15年の小泉内閣の時に比例代表の73歳定年制の例外を認めなかったため、中曽根氏は立候補を断念して国会議員を85歳で引退されました。

 

「日航機墜落事故」当時の総理大臣であったことでも知られていましたが、中曽根氏が事故の真相を語らないまま亡くなってしまったことで、「本当に墓場まで持って行ってしまった」と嘆く声が出ているようです。

 

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日航機墜落事故やその真実とは?

 

中曽根元首相の在任期間に起こったという日航機墜落事故を簡単にご説明したいと思います。

 

正式名称は「日本航空123便墜落事故」で、発生日は1985年(昭和60年)8月12日。

 

午後6時56分発の東京・羽田空港発、大阪・伊丹空港行きの定期便だったJAL123便が、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称:御巣鷹の尾根)へ墜落しました。

 

この事故により乗客乗員524名のうち520名が死亡し、単独機による事故としては世界史上最悪の死者数を出す航空機墜落事故として、33年が経った現在もその事故の悲惨さが語り継がれています。

 

お盆真っ只中だったジャンボ機には多くの著名人も搭乗しており、歌手の坂本九さんなどがこの事故によってお亡くなりになっています。

 

またこの便に搭乗予定だったという明石家さんまさんは奇跡的に一つ早い便に乗り換えたため事故は免れましたが、事故の影響により飛行機恐怖症となってしまい、現在も新幹線で行ける範囲は新幹線を使用するそうです。

 

事故原因については「米国ボーイング社による不適切な修理によって飛行中に機体後部の圧力隔壁・垂直尾翼と補助動力装置・油圧操縦システムが破損し、操縦不能に陥ったため」と報告されています。

 

しかし、事故発生から救出開始までに14時間もの空白の時間があったことや、その他現場での不審な目撃証言などから、現在も事故原因については多くの謎が残ったままとなっています。

 

事故原因の真相については、現在もネット上でさまざまな説が唱えられており、個人的に最もインパクトが強かったのが「航空自衛隊の戦闘機による迎撃ミサイルの誤射でJAL123便を撃墜してしまった」という説です。

 

そして、その説とする根拠については以下の理由が挙げられています。

日航機墜落事故が自衛隊によるものだとする情報

 

  • JAL123便墜落直後には自衛隊・米軍のヘリがすでにその位置を確認していた

 

  • にもかかわらず、救助が開始されたのは事故からおよそ14時間後(乗客の死亡を待っていた?)

 

  • 人命救助を優先しようとした自衛隊員数名が処分されたという噂

 

  • 生存者を救出しようとした民間消防隊員を「現場に入って詮索するな」と自衛隊員が追い返した

 

  • 事故現場一帯が不自然なほどに黒く焼け焦げていた(証拠隠滅?)

 

  • 遺体が炭化するほど黒焦げになっていた(ガソリンなどの燃料が使われた可能性)

 

  • 救援のヘリを飛ばした米軍を中曽根総理の命令によって自衛隊が追い返す

 

  • 生存者4名は全員現場から300メートル離れたところで発見された(自衛隊に見落とされた可能性)

 

  • 事故現場は中曽根総理の地元で選挙区内の群馬県多野郡(隠蔽するのに都合が良かった?)

 

  • 事故後に自衛隊員とみられる男がお酒を飲みながら知人と辛そうに事故の真相を話していた

 

  • 事故翌年の1年間で自衛隊員の90人以上が自殺(心を病んでしまった?)

 

 

ざっと挙げるだけでもすごい数ですが、これがもし全て真実だとしたら恐ろしすぎますね。

 

520名の尊い命を犠牲にしてでも、自衛隊は隠したい何かがあったのか?

 

陰謀論が唱えられている理由として、当時の総理である中曽根氏による「意味深発言」があったとされていますが、一体どのような内容だったのでしょうか?

 

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中曽根総理の「墓場まで持って行く」発言の真意とは?

 

日航機墜落事故について、中曽根元総理が「墓場まで持っていく」という発言をしたとされていますが、本当なのでしょうか?

 

これについては多くのメディアで「中曽根総理の墓場まで持っていく発言と、日航ジャンボ機墜落事故とは全くの無関係」だという解釈がされています。

 

中曽根元総理が本当に墓場まで持って行きたかったのは日航機事故の件ではなく国鉄分割民営の件で、その真意は「国鉄再建のためではなく、特定の労働組合を合法的に潰すためだった」と後年になって明かしています。

 

この発言が陰謀論者によって「日航機事故」と結び付けられ、都市伝説のように語り継がれてきました。

 

確かにもし日航機事故に陰謀論が存在するなら、それは国家にとって重大な機密を漏らすことになりますし、元総理は絶対に「墓場まで持って行く」なんて思わせぶりな発言はしないと思います。

 

中曽根氏が亡くなったことによって真相は闇の中に入ってしまったと悲観する声も出ていますが、日航機事故の真相については今後も調査を続けて行きたいと思います。

 

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中曽根元首相の訃報に対する国民の声

 

中曽根元首相の訃報を受けた国民の声はこちら。

 

中曽根元首相の訃報に続々とその死を悼むコメントが届いていますね。

 

大正、昭和、平成、令和の4つの時代を経験し、海軍主計士官として戦争も経験している中曽根康弘氏が亡くなったことに、「一つの時代が終わった」と感じる方も少なくないようですね。

 

中曽根氏が亡くなったことによって、日航機墜落事故の真相を「本当に墓場まで持って行ってしまった」と悔やむ声も多くありました。

 

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まとめ

 

今回は、2019年11月29日に101歳で死去された中曽根康弘元総理大臣と日航機事件の真実についてご紹介しました。

 

日航機事件の原因について、事故調査委員会の発表では「整備不良による圧力隔壁の破損」だったとされていますが、ネットではさまざまな憶測が語られており、実は「航空自衛隊による迎撃ミサイルの誤射」だったとする陰謀論も唱えられているようですね。

 

しかし、中曽根元首相が「墓場まで持って行く」と発言したのは日航機事故ではなく、「国鉄分割民営の件」だとする意見が大半となっていました。

 

日航機事故の真相についてはまだまだ多くの謎に包まれており、今や「都市伝説」と化していますが、新たな情報がわかりましたらまたこちらでご紹介したいと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

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